学術たん、勉強会をひらく。

学術たんが世界のどこかで行っている、勉強会の様子をちょっとだけご紹介します!

第2回 学術たん勉強会ー今度は名古屋で6名が登壇!!

 はじめに

 

 

 

2016年1月16日、第二回目の勉強会が、真冬の“名古屋”で開催されました!!

今回の主催はメロンパンの女王、編入たん!

そして登壇者は法・心理学・博物館学など、様々な分野から計6名の学術たんが集まりました!!

 

ということで今回もまた、少しでも当日の様子をお伝えできるよう、私マーケティングたんと公民たんとで、当日発表された内容をコンパクトにまとめて記事にしてみました。気になる学術たんの発表へ一気に飛べる「目次」付きです!

 

とても140字じゃ収まりきらない!そんな学術たん達の発表を是非お楽しみください!

 

 

 

 

政経たん|宗教と近代科学の関係およびその現代的意味~近代科学と宗教は本当に対立していたのか?~

 

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世界史をみた時に、よく言われる「宗教と科学は対立してきた」というイメージ。

実際に、地動説でお馴染みのガリレオが、異端者として宗教裁判にかけられた通称「ガリレオ裁判」のように、ルネサンス期に科学者に対し宗教側が弾圧を加えたような場面も存在します。

 

しかし、政経たんいわく「宗教と科学は必ずしも完全な対立構造ではなかった」とのこと!

 

もともと古代ギリシアの時代に生まれた、物理学・天文学などの科学は、ヘレニズムとしてアレクサンドロス3世による東方遠征により中近東に波及、さらにイスラーム化してからも学術書などの言語翻訳が進み波及していきます。そして地中海貿易の発展により、その文化が今度はヨーロッパ圏に流入。この時、キリスト教の体制側にこれらの科学を積極的に受容し宗教に応用する動きがあったそうです。

 

ガリレオ裁判」については、新教(改革派)と旧教がせめぎ合うルネサンス期の教会事情の下で、キリスト教が採用していた「天動説」に対して「地動説」が広まることは政局的に都合が悪く、ガリレオは宗教裁判にかけられるに至ったという見方があります。

 

つまり科学は、宗教側の政治的理由により排他された面も、受容され宗教に応用された面もあり、「科学―宗教」という対立構造は必ずしも完全には存在しなかったということです。

 

また、今回の勉強会では「現代社会における宗教の役割」にも言及しました。

科学が浸透した現代社会においても、宗教には道徳や倫理の根拠となり直感的な倫理的判断や慈善活動を促すという役割があります。(客観的に道徳・倫理を深掘りすることも出来ますが、これが非常に難しい…)

もちろん犯罪やテロ行為などに、宗教を悪用する人間や組織がいることも事実。これらを監視し適切な対処をするためにも、少なからず宗教を知ることは必要であると政経たんは主張しました。

 

 

[発表資料を一部ご覧になれます]

スライド:

政経たん|宗教と近代科学の関係およびその現代的意味~近代科学と宗教は本当に対立していたのか?~

 

 

 

 

基礎心理学くん|サイエンスとしての心理学

 

 

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心理学者といえば…こう聞くと大抵精神分析学者のフロイトや、最近ではアドラーなどの名前が挙げられます。また、書店に行けば「しぐさ・口ぐせで心を読む」「相手の心を自由に操る」などの宣伝文句で「心理学」を語る本が積まれています。しかし、これらの人物や書籍は少なくとも「科学としての心理学」とはいえない、というのが基礎心理学くんの主張です。

 

一概には言い切れないものの「科学」には少なくとも以下の3つの要件があると考えられます。

・理論が実験や観測によって得られたデータに基づいていること

・理論を導くプロセスが客観的かつ論理的であること

再現性がある(同じ条件で実験すれば同じ現象が観測できる)こと

この要件に従うものであれば、たとえ研究の対象が目に見えないものであっても、理論の内容が私たちの想像を超えるものであっても、科学になり得ます。

 

科学としての心理学では、目には見えない「心」に何かしらの刺激を与えて、そこから返ってくる反応を見て、心のメカニズムを推測し理論を組み立てています。

この「刺激(Stimulus)→生活体(Organism、つまり心)→反応(Response)」の図式は、その頭文字を取って「S-O-R図式」と呼ばれています。

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心理学では、こうした科学的アプローチで色や音の知覚、空間把握、記憶、学習、欲求などの基本的な心のメカニズムに迫り、さらに臨床、教育、組織行動、犯罪などの広範な分野にもこれを応用しています。

 

一方、人間の心は「自我・超自我・イド(エス)」の3つの機能から成り立っていると提唱した、フロイトによる精神分析学は、主に彼の直感的な経験則を基にしており、客観的に検証することが出来ないため、もしかしたら正しいのかもしれないけど…現状科学とは言えません。

 

「心理学」とは「心理の学」というよりはむしろ「心の理学」。

よく妙な誤解をされがちな「心理学」ですが、本来は紛れもない「科学」の領域として扱われている学問なのです。

 

 

 

   

行政法たん|法律の探知・解釈・適用~そしてその前提として知っておきたいこと~

 

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今回の勉強会では、法律を学ぶ前提として、そもそも法律とは何か・どんな種類があるのか・どこでどんな役割として使われているのかなど、法律の基礎中の基礎を解説して頂きました。

 

その中でも特筆したいのは、実際の法律の使われ方についてです。

ある事件で法律の解釈・適用が問題となった場合(事件と言っても内容は犯罪から隣人とのトラブルまで様々です)、まずその事件に使えそうな法律を探して、それらの法律を読み解きます。そしてそれらの法律が事件に当てはまるかどうかを考えていきます。

その際に使われるのが「法的三段論法」という思考法です。

法的三段論法とは、いわゆる三段論法(人はいつか死ぬ→ソクラテスは人である→ソクラテスはいつか死ぬ)の法律バージョンです。

適用されるべき法律を大前提に、次に今回の事件について言える事実を小前提に据えて、最後に法律がその事件に当てはまるかどうかを吟味し、結論を出すという方法です。

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しかし、この法的三段論法を扱う際にはいくつかの留意点があります。

まず大前提である法律そのものの妥当性を一度疑ってみる余地があります。

(人のものを盗んだら泥棒にしていいのか)

次に小前提である事件に表れた事情は本当に事実なのかを明確にしていきます。

(ムサシは本当にサトシのピカチュウを盗ったのか)

最後に、抽象的なその法律の内容が、きちんと具体的な事件の内容に当てはまるのかを吟味していきます。その際、抽象的な法律の意味内容を明らかにしようとして行われるのがいわゆる「法解釈」というものです。法律で規定された内容が元々明確であれば法解釈する必要がないこともあります。しかし場合によっては、法文の語句や文法を細かく見ていく(文理解釈)だけでなく、他の法文や他の節や章などと比較して、法体系とのバランスを取り(体系的解釈)、最後にその法文が存在する意義・目的に沿うかどうかまで明らかにして(目的論的解釈)、ようやく事実を法律に当てはめ、事件に対して法的な判断ができるようになります。

 

事件に対し法的な判断が下されるまで、時としてこのような緻密なプロセスを経ていることがあるのですね。

 

 

[発表資料を一部ご覧になれます]

発表原稿:

行政法たん|法律の探知・解釈・適用~そしてその前提として知っておきたいこと~.pdf - Google ドライブ

 

 

 

 

博物館学たん|文化財とリスクマネジメント

 

 

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世界ではテロや紛争が起きた際に、芸術品や遺跡などの文化財が、破壊・盗難されるといった被害が発生することがあります。

敵対する相手国の文化や宗教のシンボルになり得る文化財は、修復不可能になるまで破壊され、また盗難された文化財は、テロリストが活動資金を作るために売られいずれは行方が分からなくなる可能性もあるため、実際こうした人為的な文化財の破壊・盗難は、地震や水害などといった災害よりもその損失が大きいと言われています。

 

これらのリスクは、起きる頻度が極めて低いことから、つい対策が疎かになりがちですが、実際にそれが発生した場合被害が甚大で回避が非常に困難なため、平時からの入念な対策が必要不可欠であると博物館学たんは訴えます。

 

耐震設計などといった平時から出来るリスクマネジメントはもちろん完璧に為されていることが望ましいですが、その上で万が一重大な危機が発生した場合になるべく冷静に適切な対処が出来るよう、有事の際の行動ルールなどもあらかじめ決めておかなければなりません。

守るべきものを明確にしたり、「第一に人命、第二に文化財...」という様に優先順位をつけておくことなどが例として挙げられます。

 

 

また今回は、実際に起きたテロや紛争による文化財の被害例(こちらの詳細は発表資料にて)や、第二次世界大戦における文化財の損失を省みて作られた条約「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(ハーグ条約)」についても解説。

この条約のうちの「第一議定書」では、文化財(特に歴史地区などの地区全体が文化財になっているものなど)を非戦闘地域と定めているものの、真にやむを得ない軍事上の必要がある場合は免責...といった具合に所々政治的な融通の余地が散見されます。

一方「第二議定書」では、目録作成・避難所・動産文化財移動の準備などより細かい対策方法にも言及し、国際社会に対し“平時の備え”の重要性を説いています。

 

様々な場面で使われる「リスクマネジメント」という言葉、それは文化財保護の範囲でも例外ではなく、まずは何より“起こり得る危機の可能性を最大限に広げ、その対策を事前に作っておく”ことが重要なのです。

 

 

[発表資料を一部ご覧になれます]

スライド:

博物館学たん|文化財とリスクマネジメント

 

 

 

 

編入たん|メロンパンの世界。2

 

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前回(第1回)の勉強会で、メロンパンの定義や起源を探った編入たん。今回は「メロンパンと女の子」をテーマに、最近の商品開発事例やメロンパンが生み出す流行について深く掘り下げました。

 

編入たんが最初に紹介したのは「世界で2番めにおいしい焼きたてメロンパンアイス」。メロンパンにアイスクリームをはさんだこのスイーツが、現在のメロンパンブームの先がけになったといいます。

そして、実はこのスイーツ、発案者が女子高生! 女性目線で作られたことによって、女性のあいだで話題となり、メディアにも取り上げられるような人気の商品となったんですね…!

 

このメロンパンブームのなか、最近では、メロンパンと公開中の映画とがコラボしたり、大手コンビニチェーンでオリジナルの商品が売り出されたりするなどして、街中でいろいろなメロンパンが見かけられるようになりました。

 

このほか、メロンパンのかたちをしたグッズや、シュークリームとメロンパンの複合スイーツも登場していることから、その流行は新たな方向に向かっているようにも思われます。

 

 

後半は、前回も行ったグループワークを実施。「流行するメロンパンを考える」というお題のもと、3つのグループに分かれて意見やアイデアを出し合いました。

このグループワークのなかで、たとえば…

 

中にカレーが入った「カレーメロンパン」

メロンパンデザインの「ペットの服」

といった、実際に流行りそうな(?)ユニークなメロンパンやグッズが考案されました。

 

ちなみに、わたしがいた第3グループで考え出されたのは、編入たんをイメージキャラクターに起用した「にうたん(編入たん)公式メロンパン」。彼女が監修も担当ということだから、もし発売されたら絶対に買うしかないっ!

 

自由な発想のもとで生み出すことができるメロンパン、「今後の動向にも注目!」ですね!

 

 

[発表資料を一部ご覧になれます]

発表前の小テスト:

編入たん|発表前の小テスト.pdf - Google ドライブ

スライド:

編入たん|メロンパンの世界。2

グループワーク:

編入たん|グループワーク(メロンパンの世界。2)

 

 

 

 

思想史たん|思想史たん公開読書会オフ~佐伯啓思アダム・スミスの誤算-幻想のグローバル資本主義(上)-』を30分で読んでみた~

 

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今回の勉強会で思想史たんは、自身が思想史という学問と出会うきっかけとなり、やがて学術たんを始めるきっかけにもなったこの一冊を紹介しました。

 

この本によると、経済学者として有名なアダム・スミスに対する世間の認識にはある誤解があるといいます。

彼の思想としては「神の見えざる手」「自由市場・自由貿易」「小さな政府」といった、高校の政治経済の授業などで目にするようなものが馴染み深いかと思います。

そこから派生して、時たまアダム・スミスは以下のような印象をもたれる時があります。

 

グローバリズムに伴う自由な貿易活動を推奨した人物である。』

しかし、実際のところ彼はこれとは異なる思想を持ち合わせていたそうです。

 

もともと道徳哲学者でもあったアダム・スミスは、人はみな他者からの「共感」を求め、互いが互いを監視し合うことで、「徳」のある正しい行動をとることが、人間のあるべき姿であると考えていました。

しかし、現実の18世紀のイギリス社会は、他者からの評価を気にするあまり「貨幣を持つこと」「ぜいたく品を見せびらかすこと」などをして「虚栄」を張る者が多く、その結果イギリスでは貨幣に価値を見出す「ブルジョワ階級」が台頭し、多くの人々がこうした裕福な上流階級を夢見て、流行を追うようになっていました。

 

アダム・スミスは、人には基本的にリスクを恐れ、安全を求める性質があると考え、

政府が経済に介入しなければ、人々はまず「土地」という確実性のある財産に投資し国内でお金が回るようになるとし、それこそが健全な経済のあり方だと主張しました。

貿易はあくまで、国内生産力が上がり“余剰”が出来た場合に行われるべきだと考えていたのです。

 

しかし現実のイギリス経済は、海外との貿易に傾倒し、とにかく国内に貨幣をもたらすことを重視する流れがありました。また政府もそこからの収益や公債に依存していたため“海外貿易に乗っかる形で”経済に介入。資本家たちも、確かな財産である「土地」ではなく不安定な公債や投機に資本をつぎ込んでいました。

 

アダム・スミスにとって、グローバル化による貿易の活発化はリスクの高い避けるべき流れであり、政府が介入することなく、人々は国内投資という健全な選択を採るべきだと考えていたようです。

リカード以降の近代経済学はそのことをすっかり忘れ去ってしまっていました。スミスが生きた時代から1世紀以上経ち、ようやくケインズによって国民経済の重要性が見直されることになるのです。

 

 

[発表資料を一部ご覧になれます]

スライド:

思想史たん|公開読書会オフ

参考資料:

思想史たん|公開読書会オフ別冊資料.pdf - Google ドライブ

 

 

 

 

 

おわりに

おおっ!ここも読んで下さいましたか!ありがとうございます!!

今回の勉強会は前回よりも登壇者が2名増えて、内容もかなりスケールアップ致しました。

ということで、全て読み切るのも一苦労だったかと思います(汗)

ですがこうした企画を通して、学術たん達がまだまだイキイキしてるんだなって、少しでも思って下されば私たちはとても嬉しいです!!

これからも学問・学術の化身として精一杯頑張りますので応援よろしくお願いします!!

 

個々の内容について疑問や気になることがあれば、是非それぞれの学術たんに質問してみて下さいね。

それでは、また次の勉強会でお会いしましょう!!ではでは!!